井村知加

群れからはぐれた魚



 原田さんは今日も絵を描いている。
 絵筆の先には魚が泳いでいる。何匹も何匹も。
 静かに泣いていた。ぼくはそっと原田さんのひざの上に飛び乗っては、小さなあごに鼻先をこすりつけた。
 原田さんは頬にこぼれた涙を手の甲でぬぐった。ぼくを床に下ろし立ち上がると、錆付いたガスコンロに火を点け、小鍋に牛乳を注ぎ、沸かした。
 外では静かに雨が降り始めた。網戸からは、かすかな潮のにおいが漂ってくる。
 夏だというのに、今年は夏らしい日がなかった。この土地は、夏という季節だけ忘れてしまったのではないだろうか。
 原田さんは沸騰した牛乳でカフェオレを作り、それを一口すすっては、少し落ち着いた様子になり、また絵を描きすすめた。
 
 ぼくは一年前からこのアパートに住まわせてもらっている。
 五月の、春の日差しが暖かいころ。帰る場所もなくて、港でぼんやりと昼寝をしていたら、原田さんがやってきた。
 原田さんは小さな折り畳み自転車を倉庫の影にとめ、人がいない港の端のコンクリートの上で仰向けになった。
 午後六時前、揺らめく波の色が群青色に変わっていくころだった。
 原田さんは、静かに泣いていた。少年のように短く切られた真っ黒な髪を小さく揺らしながら、泣いていた。
 ぼくは見てはいけないようなものを見てしまった気持ちになり、その場から逃げ出した。次の日も原田さんは同じ時間に同じ場所で寝転んでいた。次の日も。その次の日も。
 原田さんに出会ってから一週間経ったころ、原田さんは、ぼさぼさのぼくの額を、中指で撫でながら「お前も泣いているんだね。」と言って、なんともいえない顔をした。ぼくは、油絵具のにおいのする深緑のリュックの中に入れられ、原田さんのアパートに行くことになった。

 ぼくは原田さんの部屋がすきだ。
 決して綺麗とは言えない部屋である。むしろ原田さんの部屋はごちゃごちゃと散らかっている。
 飲みっぱなしのコーヒーのカップ。ベッドの上には脱いだ服。枕元には読みかけの本が数冊。原田さんは夜やバイトが休みの日にはいつも絵を描いているため、画材があちこちに散らばっていて、木の床には絵具からはみ出た赤や黄、緑などが床にこびりついている。イーゼルにはカンバス。完成した絵、未完成な絵。カンバスの中の絵はどれも魚ばかりだ。青い魚がいれば、赤い魚もいる。部屋がごちゃごちゃして見えるのは、様々な色に塗られた絵のせいでもある。
 夜になると原田さんの部屋は白熱灯ひとつだけなので、夕暮れのように薄暗い。そんな中、絵の中の魚たちがぼんやりとうかびあがるので、部屋は水族館のような空間になる。夜になると絵の中の魚たちはたちまち泳ぎだすのだ。

 原田さんは、孤独なんだろう。
 ぼくにはわかってしまった。初めて港で原田さんと会ったときから。
 遠くの海の果てをぼんやりと見つめる原田さんのその目を、ぼくは見逃さなかった。悲しい、ともまた違うまなざし。それと同時に責任を感じてしまった。心の隙間を覗いてしまった責任。ぼくはいてもたってもいられなかったんだと思う。
 魅力的だった。愛しいとさえ思った。
 原田さん、原田さん。ぼくは声に出してみた。原田さんは一瞬こっちを向いて笑った。でもぼくは猫だから、原田さんのひざの上でまるくなり、温もりを分けてあげることしかできない。原田さんの心の隙間を埋めることは、できない。
 ぼくは猫らしく、ベッドの上に横になり、目を細めた。
 絵の中の魚が群れをなして泳いでいる。
 はぐれることなく泳ぐ魚たちは、安心で満ちていた。





2010年5月発行「年刊文芸誌 DtD」掲載

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