井村知加

森の中 〜生きること死ぬこと〜




私たちは、忘れてしまっている。
人間のお母さんは、この大地なんだよ、ということを。
いつから忘れてしまったのだろう。
人間は、この大地に、生かされているということを。
大地の営みがあり、私たちが生きているということを。

雨が降り、大地を濡らし、
太陽の陽が降り注ぎ、
草木の芽が出て、植物が育つ。
葉を食べる、虫たち。
虫を食べる、鳥たち。
その鳥は、木の種を運び
遠くの地であたらしい芽が顔を出す。
やがて動物たちは死んでゆき、
その死体は土を豊かにし、綺麗な花が咲く。
そして木は育つ。ぐんぐん大きくなる。
新しい種がまた運ばれる。芽を出す。繰り返す。
豊かな森ができてゆく。
おいしい森の恵みを食べに
たくさんの動物たちが集まってくる。
リス、ウサギ、シカ、クマ、フクロウ、オオカミ。
かつては、生きるために人間も訪れた。
人間は道具を使い、猟をする。
獲った動物を大切に弔い、毛皮や肉、骨
すべてを大切に使った。
生き延びるため、寒さをしのぐため、身を守るために。
人間は自然と調和しながら生きていた。
自然界に存在するすべてのものに
魂が宿っているという信仰の基に。

年月が経ち、
人間は多くの知恵を得た。
そして貪欲になって
様々なものを作り出した。
生活はどんどん、便利になり、不自由なことがなくなり、豊かになった。
そしていつのまにか、お母さんのことを忘れてしまった。
必要以上の木が伐られた。
海には毒が流れた。
空気が汚れた。
地球は熱くなった。

森の動物たちは、混乱した。
「ボクノイエガナイヨ。」
「タベモノガナイヨ。」
「ダレノシワザダロウ。」
「モリノカミサマハ、コンナコトシナイヨ。」
「キット、ニンゲンノシワザダ。」
「ボク、ミタコトアルヨ。ワルイ、ニンゲン。」
「アイツラ、イツカワルサスルトオモッテタ。」

森の様子は変わっていった。
仲間がいなくなった。
お腹をすかせた一匹のクマは、食べ物を求めに、山を降りた。
そしてすぐに人間に見つかって、檻に入れられ、
猟銃で撃たれて、殺された。
クマたちはさ迷い、人間の食べ物を探すようになった。
「ドングリヨリオイシイジャン!」
人間の食べ物の味をしめたクマたちは
キャンプ場や、畑、住宅街まで歩き、食べ物を探した。
そしてまた見つかっては、殺された。
私たちは、見失ってしまっている。
何が必要で、何が不要なのかを。
なにもかもが不自然な環境の中で
不自然に生きている。

同じ形をした野菜がスーパーに陳列されている。
当たり前のようにそれを買い
当たり前のように食べている。
その野菜がどうして同じ形をしているのかという疑問に
気がつくこともなく。

女たちは化粧をする。
素顔を偽ることが、そんなに重要なのだろうか。
ありのままでいいはずなのに。
どうしてそれを隠してしまうのだろう。
素直に、まっすぐ生きる人たちが
なぜ世間では浮いてしまうのだろう。
誰もが誰かの真似ごとをして生きている世の中の中で
なぜ素顔を見せるものが浮いてしまうのだろうか。

嘘をつき、
金のことばかり考え
何も深いことを考えずに
欲のままに行動をする。
その結果、
人々は戦争を起こし、
豊かな自然が失われてゆき、
どんどん見失ってゆく。
どんどんわからなくなってゆく。
世界が、狂ってゆく。

食べ物があって
明日に恐れることもなく
あたたかな布団の中で眠れれば
それで平和なはずなのに、
人間の「欲」が、なにもかもを狂わせている。
人間は弱いから
すぐにその「欲」に負けてしまう。


私は山の中で仕事をしている。
木を育てるために、森林の整備を行っている。
私はこの大地に恩返しをしたいから
私が生きていることの、
生きているだけで負荷を与えてしまっている、
この大地への罪滅ぼしをしたいから
「林業」という、この仕事に就いた。

時には深い笹薮の中にもぐりこみ
静かに流れる沢を渡り
急な傾斜を歩いたりしながら
土にまみれて、日々、多くのことを
この自然から学んでいる。

森の中では
毎日生き物が生きている。
みんな、生きるのに夢中だ。

・・・
ガが脱皮しているのを見た。
自分の脱いださなぎの糸に左の翅がひっかかり
ずっとその翅を開かせようと必死だった。
そのうちに、はばたくことなく
木の幹にしがみついたまま、死んでしまった。
・・・
鳥の巣が、地面に落ちていた。
無事に飛び立ったのか、キツネに食べられたのか、
巣の中にヒナはいなかった。
・・・
地面から垂直に生えたツルの、切られたその断面から
ひっきりなしに水が溢れている。
止め忘れた水道のように、重力に逆らいつつも溢れている。
その水は舐めてみると甘い味がした。
・・・
林道を車で走っていると
親子のエゾシカが離れ離れで逃げた。
ちゃんと再会できたのだろうか。
・・・
草刈機で、草を刈っているとき、
気がつかずにヘビを切ってしまった。
ヘビのお腹はさけ、内臓が飛び出し、
血だらけになりながら、弱弱しく逃げていった。
私が草を刈ることで
昆虫をはじめとした、多くの生き物の世界を奪っていることに
心が痛んだ。
その命と引き換えに、
私はあらゆる命のことについて考えるようになった。
・・・
樹齢数百年のミズナラの木。
数百年も前からここに立ち、
さまざまな歴史を見てきた。
そのミズナラが、ものの十分であっけなく倒された。
・・・

私はこの自然を、守りにきたのだろうか
壊しにきたのだろうか。

森の中にいながら大地の営みを感じ
ツルを伐る手が
草を刈る手が
木を倒す手が
何度も止まりそうになったが
結局私は、毎日ご飯を食べられるように
安定した生活を過ごせるように
ツルを伐らなければならない。
草を刈らなければならない。
木を倒さなければならない。
結果的にその行いが
木の生長を助け
酸素や水の貯水量が増え
その木から、家が出来たり、家具が出来たり、紙ができたりするのだけれど
どうしても心が痛む瞬間がつきまとう。

私たちは、多くの命に生かされている。
大地の営みにより、生かされている。

生きるということは
そうそう楽なことではない。
私はいつも森の中で
生き物の生と死の狭間で
葛藤しながら
生きている。






2009年5月発行「中央分離帯の上 第一号」掲載
  2010年5月発行「年刊文芸誌 DtD」掲載

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